良い歳をした大人が、身の回りの共通意識を持つ集団より僅か先に知り得た知識や日常の取るに足らない発見をつらつらと得意気に書き連ね、それで自分が一歩でも先をいっていると錯覚したり優越感に浸る行為にいったいどんな意味があるのか
と、今後ともtwitterを簡潔に言い表した文章を考えたい。 これ以上ないくらい究極に嫌な文章ができた時には、自分も飽きるのではないかな。
友人の近影