堀道広 旧仕事、日常、金継ぎ部、駄文、記録用。
新しい仕事は地味にこちらに移行中です。
→「堀道広 その仕事」https://horimichihiro.tumblr.com
仕事はTumblrの方に更新するようになり、ブログも随分と更新しなくなった。
拙著「おれは短大出」を有識者(編集者?)っぽいマンガ読みが語ってくれるポッドキャストがあった。それ自体はとても嬉しいしありがたいんだけど、「男性上位的な」「ポリティカル・コレクトレス的な(性差別、男女差別的な)表現がもう古いのではないか」という意見があって、基本男性陣は褒めてくださっているんですが、少し思う部分もあった。
視点については20年以上昔のことを描いたマンガなのでしょうがない。「サザエさん」のフネさんの言葉に「時代遅れ」と炎上してしまうことと似ているなと思った。自分自身も書籍化に8年もかかって描いた訳なんで、その8年の間に大きな社会の価値観の変化があったことは、自分でもわかる。「車がちょっと古い」という指摘も、学生の乗るクルマなんていうのは、それこそ当時よりもっと型落ちの古い中古車などにみんな乗っており、就職などをしたら自分で新車を買う、みたいな地方文化があったことから、描いたのだった。中古市場だから、時代の5年は遅れてるんじゃないかな。「絵が古い」(今はネットとかで見るような、細くてキレイな癖のないタッチが読みやすいという話もあった)とか「表現が古い」とか時代と合わない、合わなくなったんだったらもうマンガなんか描く意味がない。そうなったら未練はない。それこそ1枚絵の世界(イラスト)や、絵本(それもナンセンス絵本というジャンル)の世界で、勝負するステージを変えていくしかない。
けど、評論というのはそういうものだ。論じてもらうだけマシ。ありがたい。
話は変わるが最近商売にし始めた人に限って、SNSやInstagramで「サスティナブル」とか言って、おしゃれな金継ぎを語る人が増えた気がする。そういう人に限って、ここ数年の転職組、ビジネス組で、写真で見てもお世辞にもそんなに綺麗と言えない場合が多い。逆に言えば、本当に綺麗な蒔絵(金継ぎ)のプロの仕事を見たことがない、知らないから堂々と発表できるのだろう。見る側もよく知らないから「ステキ」と思うし、やる側も100点を知らないから20点とか30点くらいの仕上がりでも平気で見せびらかす。見る側もやる側も「目」を持っていないのだ。
(自分は、蒔絵師ではないという自負から怖くてそこまで画像を上げたりできない。まだ完璧じゃない、と思ったりする。終わりのない世界、みたいな。そこまでの自信のなさもまた問題だと思う。)
逆に、輪島の蒔絵師さんとか自分よりも大昔から金継ぎしている職人さんはおしゃれともあまり思ってないし、脆弱性もちょっとあるのもわかるからあまり主張しない人が多い気がする。良いことは、体に無害ってだけ。
見る人が見たら金継ぎの仕事というのは一目瞭然だ。反面、自分に自信を持てることは良いことだ。もうちょっとレベルの高い金継ぎができるようになったら自分も発信したい。
でもやっぱりそもそもの考え方として、修理の仕事で偉そうな顔すんなよと思う。器を作った人より偉そうに主張してどうするのというか。金継ぎの良いところってそういう主張の控えめな部分で、だから好きで、続けられる。
つまりは、価値観の違い。
拙著「おれは短大出」を有識者(編集者?)っぽいマンガ読みが語ってくれるポッドキャストがあった。それ自体はとても嬉しいしありがたいんだけど、「男性上位的な」「ポリティカル・コレクトレス的な(性差別、男女差別的な)表現がもう古いのではないか」という意見があって、基本男性陣は褒めてくださっているんですが、少し思う部分もあった。
視点については20年以上昔のことを描いたマンガなのでしょうがない。「サザエさん」のフネさんの言葉に「時代遅れ」と炎上してしまうことと似ているなと思った。自分自身も書籍化に8年もかかって描いた訳なんで、その8年の間に大きな社会の価値観の変化があったことは、自分でもわかる。「車がちょっと古い」という指摘も、学生の乗るクルマなんていうのは、それこそ当時よりもっと型落ちの古い中古車などにみんな乗っており、就職などをしたら自分で新車を買う、みたいな地方文化があったことから、描いたのだった。中古市場だから、時代の5年は遅れてるんじゃないかな。「絵が古い」(今はネットとかで見るような、細くてキレイな癖のないタッチが読みやすいという話もあった)とか「表現が古い」とか時代と合わない、合わなくなったんだったらもうマンガなんか描く意味がない。そうなったら未練はない。それこそ1枚絵の世界(イラスト)や、絵本(それもナンセンス絵本というジャンル)の世界で、勝負するステージを変えていくしかない。
けど、評論というのはそういうものだ。論じてもらうだけマシ。ありがたい。
話は変わるが最近商売にし始めた人に限って、SNSやInstagramで「サスティナブル」とか言って、おしゃれな金継ぎを語る人が増えた気がする。そういう人に限って、ここ数年の転職組、ビジネス組で、写真で見てもお世辞にもそんなに綺麗と言えない場合が多い。逆に言えば、本当に綺麗な蒔絵(金継ぎ)のプロの仕事を見たことがない、知らないから堂々と発表できるのだろう。見る側もよく知らないから「ステキ」と思うし、やる側も100点を知らないから20点とか30点くらいの仕上がりでも平気で見せびらかす。見る側もやる側も「目」を持っていないのだ。
(自分は、蒔絵師ではないという自負から怖くてそこまで画像を上げたりできない。まだ完璧じゃない、と思ったりする。終わりのない世界、みたいな。そこまでの自信のなさもまた問題だと思う。)
逆に、輪島の蒔絵師さんとか自分よりも大昔から金継ぎしている職人さんはおしゃれともあまり思ってないし、脆弱性もちょっとあるのもわかるからあまり主張しない人が多い気がする。良いことは、体に無害ってだけ。
見る人が見たら金継ぎの仕事というのは一目瞭然だ。反面、自分に自信を持てることは良いことだ。もうちょっとレベルの高い金継ぎができるようになったら自分も発信したい。
でもやっぱりそもそもの考え方として、修理の仕事で偉そうな顔すんなよと思う。器を作った人より偉そうに主張してどうするのというか。金継ぎの良いところってそういう主張の控えめな部分で、だから好きで、続けられる。
つまりは、価値観の違い。
PR
リンク
カテゴリー