堀道広 旧仕事、日常、金継ぎ部、駄文、記録用。
新しい仕事は地味にこちらに移行中です。
→「堀道広 その仕事」https://horimichihiro.tumblr.com
イベントのチラシ描きました。
2010年1月28日@難波ROCK RIDER 「大喜利ライダー」 OPEN 19:30 START 20:00
AD/DOOR \500
出場者=ミッキー(デシンセイ)/大石英史/エロ満賀道雄
YA☆SSY(ザ・どげざ)/松嶋三郎/中村圭吾
上田太一(アニメーションズ)/アマゾン(IGUWANNAS)
★ロックライダー主催の大喜利イベントが今年よりスタート!!
8人で争われる抱腹絶倒のワンデイトーナメント!!
「大喜利ライダー」の栄冠を手にするのはいったい誰か!?

2010年1月28日@難波ROCK RIDER 「大喜利ライダー」 OPEN 19:30 START 20:00
AD/DOOR \500
出場者=ミッキー(デシンセイ)/大石英史/エロ満賀道雄
YA☆SSY(ザ・どげざ)/松嶋三郎/中村圭吾
上田太一(アニメーションズ)/アマゾン(IGUWANNAS)
★ロックライダー主催の大喜利イベントが今年よりスタート!!
8人で争われる抱腹絶倒のワンデイトーナメント!!
「大喜利ライダー」の栄冠を手にするのはいったい誰か!?
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木梨サイクル。
キーホルダー買った。
MASA☆AKIのGIGに行った。MASA☆AKIとは友達の叔父さんで、アーティスト。
若いパートナーとHEAVENというユニットをやっている。
アツいGIGだった。おからハンバーグが出た。
冷蔵庫。
目は細木和子のヌード
蛭子劇画プロダクションに行った。
個展でのオカダシゲヒロさんの一枚。絵がすごかった。
日記の後編アップできなくてごめんね。前編で力尽きました・・。
購入した浅田拓さんのブロマイド(3点)と実際の浅田拓さん。
と棟方志功の作品
SPA!(セルフ・ポートレイト・アーティスト)(命名・私)の浅田拓さんのデザインフェスタ・ギャラリーでの展示を見に原宿に行った。金曜までやっているそうです。
展示は60×60センチほどの小さいスペースだったが、それでも浅田拓さんが存分に封じ込められていた。
逆にその60センチ角のスペースこそ、浅田さんの格が現れていてリアルな気がした。「このぐらいの大きさに封じ込めていて良かった」「逆にこれより広かったら、お前らとんでもないことになるぞ」と、我々に訴えかけてきているかのようであった。ミニミラーボール、仏壇におそなえしてあるぼんぼり、100均で買った神様、カレンダーに書いてあった一言書、自分ブロマイド・・・など、このスペースに浅田拓さんの28年(自称・永遠の28歳)という波乱万丈の全人生すべてが埋め込められている気がした。
展示テーマは「追悼・浅田拓」をテーマにした遺作展だった。(浅田さんはご存命だが)追悼・ブロマイドなるものを150円で販売していた。60センチ角の空間で生きながら遺作展をやってのけるなんて人間を、私は見たことがありません。

限られた空間にところ狭しと封じ込めた浅田さんのスペース(宇宙)。ナノレベルで見ても1ミクロンの隙もない。
展示スペースに名刺をじかに貼り付ける。名刺もその人の人生であり作品であってしかるべきである、と。
「死への道はひとりで歩む」なる書。人からもらったカレンダーからの切り抜きという。
追悼ブロマイド、もちろん3枚購入しました。

頭にお花畑、学ラン、こめかみに銃、という完璧な武装で現れた浅田拓さん。この男、やる気だ。
はっきりいって私は、締め切りを翌日に控え非常にまずい状況で、満足に展示を見に行ける身分ではなかったのでさくっと帰ろうと思っていた。
しかし、浅田さんの姿を見て、天からの啓示的な「これは付き合ったが最後、終わりまで見届けなければならない」脳内アプリ(しいていうならばmixiアプリ「サンシャシン牧場」くらいの)が強制的に発動した。
私は浅田さんの展示を見た後、アックスの同じ漫画家オカダシゲヒロさんの展示に行く用があり、浅田さんとともに原宿から初台にあるというzaroffというカフェまでご一緒した。
・・・ご一緒した!?!
原宿駅でsuicaをチャージされる浅田拓さん。
山手線で新宿まで移動する際、満員の車内でスシ詰め状態の浅田拓さん。周りの中学生から思わず黄色い歓声が。

改札を難なく通過する浅田拓さん。よほどでなければ人間には不可能なことなどないのではないだろうか。自分が解放されて自由になっていくのを感じました。


京王線車内での浅田拓さん。
「初台にて」浅田拓さん。
まるで人類「初だい!」と言いあらわしているかのよう。「芸術」とはそういう言った者が勝つ世界なのだろう。
(後編へつづく)
展示は60×60センチほどの小さいスペースだったが、それでも浅田拓さんが存分に封じ込められていた。
逆にその60センチ角のスペースこそ、浅田さんの格が現れていてリアルな気がした。「このぐらいの大きさに封じ込めていて良かった」「逆にこれより広かったら、お前らとんでもないことになるぞ」と、我々に訴えかけてきているかのようであった。ミニミラーボール、仏壇におそなえしてあるぼんぼり、100均で買った神様、カレンダーに書いてあった一言書、自分ブロマイド・・・など、このスペースに浅田拓さんの28年(自称・永遠の28歳)という波乱万丈の全人生すべてが埋め込められている気がした。
展示テーマは「追悼・浅田拓」をテーマにした遺作展だった。(浅田さんはご存命だが)追悼・ブロマイドなるものを150円で販売していた。60センチ角の空間で生きながら遺作展をやってのけるなんて人間を、私は見たことがありません。
展示スペースに名刺をじかに貼り付ける。名刺もその人の人生であり作品であってしかるべきである、と。
頭にお花畑、学ラン、こめかみに銃、という完璧な武装で現れた浅田拓さん。この男、やる気だ。
はっきりいって私は、締め切りを翌日に控え非常にまずい状況で、満足に展示を見に行ける身分ではなかったのでさくっと帰ろうと思っていた。
しかし、浅田さんの姿を見て、天からの啓示的な「これは付き合ったが最後、終わりまで見届けなければならない」脳内アプリ(しいていうならばmixiアプリ「サンシャシン牧場」くらいの)が強制的に発動した。
私は浅田さんの展示を見た後、アックスの同じ漫画家オカダシゲヒロさんの展示に行く用があり、浅田さんとともに原宿から初台にあるというzaroffというカフェまでご一緒した。
・・・ご一緒した!?!
改札を難なく通過する浅田拓さん。よほどでなければ人間には不可能なことなどないのではないだろうか。自分が解放されて自由になっていくのを感じました。
京王線車内での浅田拓さん。
まるで人類「初だい!」と言いあらわしているかのよう。「芸術」とはそういう言った者が勝つ世界なのだろう。
(後編へつづく)
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